初めて食べた肉は、血の臭いばかりが強調されていて、味なんてわかったもんじゃなかった。歯応えはよかったけど、素材が良かったので残念だった。
 次に食べた肉は、少し脂が強すぎて切り分けるに切り分けられず、仕方ないからキャンプなど大人数用の、人一人入れそうな大鍋に丸ごと入れて、とろとろになるまで煮て食べた。味の方は良かったけれど、内臓を外してなかったから、食べる時ちょっと面倒だった。ほぼ丸のまま煮たお陰で、原型を留めたままだったけど……まぁ、肉だと割り切ると別に嫌悪感はなかった気がする。
 三人目――――先日私が最後に食べた肉は、用意したノコギリなどで綺麗に解体して食べた。胃と腸はどろどろに溶けた内容物が詰まってて食べられたものじゃなかったが、他の内臓などは案外食べられることがわかった。ちなみに、私のお気に入りはレバー。今度から捨てないで、ちゃんと取って置くことにしよう。やはり食わず嫌いはいけないことだ。三人目で気が付いて良かった。










 
ヒ ト ク イ シ ン 










 私、桜咲刹那が『怪物』の素質に目覚めたのは、結構最近のことである。
 烏族という、忌むべき妖怪の血を別けた私の肉体に怪物の素質があるのは、まず疑惑いようのない事実だった。故に、酷く狼狽したとかそういったことはなく、むしろ「ああ、やっぱりか」とついしみじみしてしまうほどに余裕があった。というのも、それは元々自分自身にあった可能性だったのだから。仕方ないと割り切ることができる。
 ただそれよりも困ったのは、怪物の素質に目覚めた私に降りかかる、怪物としての、怪物たるための性質だった。
 例えば、ゴジラはまず日本に上陸しなければならない。モスラはザ・ピーナッツの歌に何らかのリアクションを示さねばならない。それと同じで、絶対的に決められた性質が怪物には存在するのだ。
 それはむしろ性質というよりも、怪物が怪物であるため、存在がその存在であるための証明のようなものなのだろう。怪物に限定せずとも、赤い彗星の人は角を付けなきゃ駄目だし、赤い帽子にオーバーオールのおじさんは空中に浮かぶブロックを叩かないと生きていけない。これも同様、存在証明だから仕方がないのだ。え? わからない? ああ、それはあれだ。坊やだからさ。
 ……えーと兎に角、私が怪物としての素質に目覚めたからには、絶対的にクリアしなければならない性質がこの世の中には存在する。
 それは一種、衝動でもあり、同時に怪物たる症状でもあるのかもしれない。試しにここであなたの怪物度をチェックしてみよう、なんて言ったら多分こんなアンケートができる。

★ ★ あなたの怪物度チェック ★ ★

 該当する項目にはYESで、該当しない項目にはNOで答えて下さい。

Q1 人のお肉が食べたくなる

Q2 人のお肉が食べたくなる

Q3 人のお肉が食べたくなる

Q4 かゆ うま

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

 一つでも該当すれば怪物である。例外として、四番をYESと答えた人は何らかのウィルスに犯されているため、傘のマークの企業に問い合わせてみてください。
 さてそれはどうでもいいとしてだが――――えー、要するに私はなんだろう、食人主義者となってしまったのだ。否、人肉を食べないと生きていけない生命になってしまったのである。
 いわゆるカニバリズムというやつだ。あれ、何か錬金を武装する白タイツのドクトルが『語源はカーニバル』って間違えたやつ。あれはもう蝶・失敗。
 もっとも、私は素敵な一帳羅など持っていないし、そもそも『麻帆良学園中等部の生徒として、近衛木乃香の護衛をする』という任務があるために、おおっぴらにそのカニバリズム衝動を口に出したり行動に移したりすることはない。加えて、私の中にはカニバリズムの根底になくてはならない『死者への追悼』の意がないため、この私の性質自体『カニバリズム』と呼ぶに相応しいかどうかわからないのだ。生きる為に他の生物を殺め、その肉をいただくのだから、普通の人が持ち合わせている食欲と同じようなもの、と解釈してよいのだろうか?
 いや、そんなことはどうでもいいんだ。
 それより重要なのは、この性質を、衝動をどう発散するのか、ということにあるのだ。
 自分でこう言うのもなんだが、私は殺人技術に関して、世界の敵の敵の人にも某同盟のダンさんにも負けるつもりがない。生まれた時から殺人習性が秀でている……まるで在りし日のケス少年のよぉに。
 つまり、闇討ちで適当に人を仕留めて食べてしまうことなど、マムルの尻尾を捻るより容易い訳で。残念ながら、最終問題は六十一階が限度だけど。ああどうでもいい話だから別に聞かなくてよいけれど。
 さて、私はぶつぶつとそんなことを考えながら、一人の少女の後を追っている。勿論、その子を『食べたい』がために。
 ああ、なんてこと。カニバリズム衝動を表に出さないなんて言いながら、結局表に出しまくってしまっている。猿でもできることだが反省したい。いや、反省しても追う事だけはやめないけれど。
 あの少女の名前は早乙女ハルナ。三年A組――――即ち、私と同じクラスに在籍する、少し肉付きのいいオタク趣味の少女である。
 私と彼女はあまり交流のある仲ではないんだけど、そもそもクラス全体が異様なブラザー精神に溢れる三年A組では、そこそこ面識がなくても『友達』で通せるため、一応彼女のことは『友達』としておく。いや、別に血の大晦日は関係ない……ってあれ、深読みしすぎた? ああ、いやなんでもない、こっちの話。
 彼女のことは、私がカニバリズム衝動を持ってすぐに目をつけていた。女の子は少し肉付きの良い方がいい、ととらこさんは言っていたが、まさしくそうだ。引き締り、洗練された肉というのもなかなか良い物だが、折角なら適度に柔らかく、そしてボリュームのある肉の方が美味いに決まっている。私は人肉自体口にしたことがないのだが、しかし私の中にある本能というか、根底にある何かがそう告げていた。例えるならそう、性癖に似ているかも。未だチェリーなのに、みんな今晩のオカズにストッキング破りとかロリロリ小学生とか使うでしょ? 根拠も経験もないのに。そんなもんだ、きっと。
 という訳で私は、彼女の後をつけている。ミニにタコができると言われるこのご時世、短いスカートから覗く太股は、そこらにいる発情期の青年とは違った意味で実に美味しそうだ。ほどよく肉がつき、かつ彼女の部活動(図書館探検部という、そこらの運動部よりは余程運動になる部活動だ)の関係からか、そこそこに引き締った肉。どちらかと言えば彼女はデスクワーク派だそうだが……いや、この際そんな彼女の経歴を思い起こすのはやめておこう。これから食べる食肉の過去を知りたいなんて私は思わないし。……いや、最近はむしろ知りたがる人が多いのか。偽装表示で騙されて、北の某国産アサリとかへんなとこの牛肉とか食べたくないんだろうな、最近の日本人は。
 私は自分のカニバリズム衝動をなんとか押さえつけるように胡乱な思考で頭の中をかき散らしながら、ゆっくりと彼女の背後をつけて行く。もっとも、本当に手っ取り早く済ませたいのならば、適当に裏路地に誘導してそのまま押し倒せばそれで済むのだが、中途半端にカニバリズム衝動と戦っていた私の意識は、それを実行には移させなかった。元々顔見知りなのだし、やろうと思えば楽だったのに。
 そうこうしている内に、彼女がすいと表通りから外れ、少々人通りの少ない道に入り込んだ。赤いオフィスビルのような建物や、古ぼけた建築物が並ぶ、都会には付きものの『少し寂れた通り』といった赴きがある。……とは言っても、まだここは麻帆良学園都市の敷地内。ゴミゴミした都会とは少々違う。
 彼女はすいすいと慣れた足取りで通りを歩いていく。私は彼女に気付かれないギリギリの距離で尾行を続ける。ちなみに、ここで言う『彼女に気付かれない距離』というのは、私がカニバリズム衝動を抑え切れる距離、という意味も含まれている。それ以上接近すると、ちょっと涎や食欲で存在がバレてしまいそうになるのだ。
 やがて、彼女は一つの古ぼけたビルの中に入っていく。私もそれを追うようにビルの中に入ると、彼女の姿が消えていた。どうやら、エレベーターに乗ったらしい。入り口のすぐ近くにあるエレベーターが稼動しているのがすぐにわかったからだ。……しかしまずった、建物の中に入られるとは。
 とりあえずこうなれば、彼女が出てくるのを待つしかない。そう思いながら、私はきょろきょろとビルの内装を見回し始めた。
 そのビルは様々な商業店舗や施設の入った、少々怪しげな雰囲気のビルだった。一応清掃は行届いているが、いくら擦っても消えなさそうな汚れや傷がそこら中に見え、どうも中途半端な年数を過ごしているのがわかる。加えて、独特の『臭い』というのだろうか、私が特に嫌悪しそうな人種の臭いが濃厚に鼻腔を突いてくる。
 私は恐る恐る、エレベーター脇に貼り付けられた金属製の案内板を見る。
 ……案の定、各階の階数と店舗の名前が入ったそれには、ニ階から四階にかけて、『それらしい』タイプの店舗名が記載されていた。加えて、その店舗名の横には小さく『アニメ館』『同人館』といった註釈表記が。
 あー、ヤバイです。これはヤバイです。危険数値マックスです。ある意味夢の王国が、この古びれたビルの二階から四階にかけて入っているようです。この店にやってくる漢達は、日夜『トサンボー』とかで行われる偏愛イベントや、大会場で行われる妄想と夢の大戦争に身を投じ、徹夜禁止なのに前日から並んだり走っちゃ駄目と言われても完全にリミットブレイク状態で特攻かけちゃったりする訳ですね? ベターなところで大手から? よくあるところでアヤナミから始めますか? 冬、落とした人はとりあえず委託しておきます?
 ある種絶望とした時間が流れ、そして不意に聞えたエレベーターの駆動音に私の脳味噌が揺り動かされた。どうやら、先程上がっていったエレベーターが戻ってきた様子。
 そしてそのエレベーターの中に乗っているのは――――あー、なんだ。
 エレベーターのドアが開き、そこから降りてくるのはハンバーガーとバーベキューしか食べない国の人より尚不健康な体型のお兄さん。そして骨と皮と魂だけで辛うじて生きているような印象の痩せ細ったお兄さん。顔色が少々白を通り過ぎた色合いで、数秒前まで冷凍保存されていた黒人みたいです。そして極めつけはぎっとぎっとに髪の毛をセットした勘違い金髪お兄さん。食べるならこいつが一番美味そうですが、人種として最も嫌うタイプの人間なので食べません。ええい、早いとこ帰って蜜柑聞いてろ! 女のとこに電話シロ! 毎回歩く度に携帯の電波が不安定になれっ!
 とにかく全員食べたくもなければ食欲も増進しない、いわば脂身・骨・ゲテモノの大行進。私は素早く彼等を回避すると、その少し後へと続くようにビルの外へと出る。
 ここまで来たからには、彼女を食べねば気が済まない。とにかく今は待つしかない。
 ぐぎゅるるる、と鳴った腹の虫を押さえつつ、私はビルの見える位置にある、角の辺りに身を隠す。
 あとは忍耐。待つしかない。
 やや肌寒い初冬の陽気の中で、私は身を縮こまらせながら、ただただ彼女を待つのであった。

 *

 あー、暑い。
 なんでいつもこの建物っつーのは暑いんだろう。今の時節はなんだ。冬だ。ここだけ夏将軍到来だ。寒波が押し寄せようが一瞬で吹き飛ばすわ。
 そんなことを考えながら、私――――早乙女ハルナは、最近委託された新作同人誌の確認作業を行っていた。某なんとかだらけ麻帆良店の三階、『同人館』の一角にある新刊コーナーで。版権物の幼女が大々的におっぴろげている、凡人が見りゃ気狂いと勘違いされそうな表紙。声に出して読んだら即座に一家断絶しそうな文字の羅列が並べ立てられたタイトル。そしてそれを真剣に吟味し、カゴの中へと放り込む歴戦の勇者達――――嗚呼、同人ショップ最高。そんな言葉をついつい呟きそうになり、私は咄嗟に口を紡ぐ。そして、その瞳は同人誌の見本表及び各同人誌の表紙へと向けられた。
 『麻帆良が生んだ同人王』『徹夜組最長老』の名を欲しいがままとする私にとってみれば、同人誌のチェックを怠るのは即ち死を意味する。今日もまた、漫画研究部の可愛い後輩や頼れる先輩に頼まれた、ちょっとお子様お断り的な同人誌を購入にやってきた訳でして。それと兼ねて新作のチェックなんかも。大手の動きはキッチリ把握していないとね。私は、癖でよくやる人差し指で眼鏡を押し上げる仕種をすると、臨戦体制に入り同人誌のチェックを開始した。
 ははぁ、ここはまだこのジャンルを続けるか……そろそろネタ的にどうなんだろうか、でも原作では新キャラのテコ入れ始まったし、まだ現役か?
 うぉ、こっちは別ジャンルに手を出したか、しかしマイナーネタだなぁ。うーん、個人的には良いけど、市場の反応はどうなのかしら。
 うは、ここはついにメジャージャンルに手を出したか。でも、これって確か十二月にエロゲーで移植されるんだよね? 同人屋が頑張ってきた妄想を突き崩すメーカーもメーカー……ってそれは関係ないか。キャラはやっぱタマネーか、うーんやっぱイインチョ・コノミと三大人気を誇るだけあるけど、ちょっとマンネリかな? 変化球でユマが読みたいんだけど。マイナー人気ではカモリン……は移植で人気が出るかもなぁ。どうでもいいけど、あの要素だらけの新キャラはどうなんだろう。
 etc etc。
 約二十分近い吟味の末、私は頼まれた同人誌だけをカゴに入れてレジに向かう。店員はやる気なさそうにピコピコ清算すると、囁くように値段を言って同人誌を紙袋に詰め始める。つーか私ほぼ中学の制服姿なんだけど、ツッコミなし? いや、いつものことなんだけどさ。
 そう思いながら、私は財布から諭吉さんを一枚取り出してレジに置く。諭吉さんはかなり切りくずされ、漱石さんと小銭何枚かに変貌して私の財布に舞い戻る。店員から紙袋を受け取ると、私は同人館を後にして階段を昇った。薄暗い階段を抜ければ、その先にあるのはアニメ館である。
 まず入った瞬間漂うのは、異様な熱気と気配。狭いアニメ館にひしめく、十人近い戦士達の闘気である。それは先程の同人館ほどではないものの、肌にピリピリと戦慄が走るほどの威圧感が感じ取れるものだった。しかし、私は惑わされない。この激しい闘気を間合いとし、その乱れに無想の一撃を放つのみ!
 私は背中革鞄の中に、先程の紙袋を素早く入れ(この時のために教科書は学校に置きっぱなしだ!)、眼鏡を人差し指で押し上げつつ第二の戦場へと歩き出す。ここで気を付けなくてはならないのが、これが前回の戦場よりいくばくか平穏だからと言って、油断してはいけないということである。戦闘が終ったあとのピクニック中、地面の中から突然武道家が現れて殺される可能性さえあるのだ! そう、そこが一体何処で、どのような情勢であろうと戦争は戦争なのである。
 私は素早い足取りで、まずCDコーナーを散策する。ぶっちゃけアイドル崩れの声優などに一切用はないのだが、アニメ主題歌などの初回限定版には特典が付いてくることが往々にある。これを見逃せば即ち敗北を意味するのだ。私は素早く、今月発売のアニメ主題歌曲(もち初回限定版)を平積みされた棚からひったくると、入り口で取った小さなカゴの中へそれを放り込む。後輩二人からも買って来て欲しいと頼まれていたので、さらに加えて二枚のCDをカゴに入れ――――
 その瞬間、周囲の気配が乱れた。
 なっまさか――――これは、敵意かッ!? 私は周囲の気配を読むようにして眼鏡を押し上げ、思案する。
 確かにこの作品、キャラの髪の毛は原色バリバリだし一桁の話数で既に作画崩壊したし主題歌がオリコンに登場したとかで調子付いた奴らがCD大量購入したりしていた。しかし、私はそんな企画に参加しようと考えて三枚購入した訳ではないし、加えてアニメクオリティを賛美する者でもないっ! 畜生、お偉いさんにはそれがわからんのです!
 私は周囲から発せられるサブ・マシンガンのような鋭い敵意の視線を素早く回避し、CDコーナーを抜ける。逃げるが勝ちとはよく言ったものだ、サブ・マシンガン相手にシングルアクションアーミーで対抗するつもりはさらさらないのさっ!
 次に訪れたDVDコーナーでは、丁度前期のアニメのDVD最新巻が並べられていた。しかし、その最新巻が整然と並べられた棚の前には、一人の男があたかも鉄のカーテンのごとく、黒人と白人の人種的壁のごとくどんと鎮座しており、そのフドウも裸足で逃げ出すであろう巨体を震わせ、DVDを眺めていた。うわ、邪魔。滅茶苦茶邪魔。どいて。否どけ。もしくは今すぐそこで『痛ぇよぉ〜』ってモノマネしたら許してやらんこともない。
 そんなことを考えつつ、私はやや困った素振りを振り撒きながらDVD物色デブに近寄る。
 しかし、その思春期にエロ本を隠す中学生よりも尚堅い意志を持っているらしいデブは一向に動かず、ただそこに鎮座するのみ。くっそー、タイジュの国のあの旅の扉を思い出すじゃないかっ! チクショー、ムドーが作れなくて大変だったんだぞ! 否そんな旧時代の話はどうでもいい。いいから早くそこを退け、デブ。
 すると、そんな私の殺意……もとい熱意に気が付いたのか、不意にデブは私のことを見ると、少しだけ横にずれてくれた。その横顔がまた凄いハート様に似てるんだわ。ね、ね、お願いだから一回『痛ぇよぉ〜』って言ってくれないかな。一回だけ。無論そんなこと堂々と言える訳がないので、私はハート様(仮名)の脇から新作DVDを一本取ってカゴに入れ、DVDコーナーを後にし、レジに向かう。手早く清算を済ませたら、後は帰るだけだ。私はレジの上にどん、とカゴを乗っけた。
 やる気のなさそうな店員が、カゴの中身をのろのろと調べ始める。

 ピッ

 ピッ

 ピッ

 …………

 *

 ようやく来た。
 本日十二回目の腹の虫を鳴らせた辺りでようやっとビルから出てきた早乙女ハルナを、私は流れる涎を拭かないままに凝視する。遠目から見ても、やはり美味そうだ。
 食べたい。とても。
 少々気になるのは、彼女が持っている大量の荷物だが――――少々処分に手間取るかもしれない。まぁ、燃やせばいいか燃やせば。燃やせば皆一緒だ、って兵長が言ってたから。軍曹には怒られそうだけど。
 彼女が私のいる場所と反対の方向、即ち元来た道を戻っていくのを見て、私は行動を開始した。
 先程まであった、カニバリズム衝動への抵抗感はない。彼女がいない間、ずっと私の頭の中に彼女がいたからだ。同時に浮かんでくるのは、彼女を食べたいという衝動。ひたすらに沸き上がる食欲である。
 破片ほどあった同族を喰らうことへの嫌悪感は既に食欲の中に埋もれ、私を抑制するものは何もない。
 ただ素早く、適確に。彼女を食するための方法ばかりが頭の中を支配している。
 そもそも人間はこうあるべきなのだ。自分の中の肯定意識と否定意識を戦わせても、事態は進展しないのだから。ただ目標に真っ直ぐ突き進んでこそ人は輝くのだし、事は動くのである。
 そう、私の中に残滓としてあった否定意識は消え去った。
 あるのは、彼女を食べたいという目標のみ。
 私は彼女に接近する。辺りに人影はない。
 狙い目は、彼女が建物と建物の間を通過する時だ。
 そこに重なるように追いついて、そして裏路地に連れ込む。あとは気絶させるなりなんなりしてから、ゆっくり食べる場所を探せばいい。
 私の瞳には、きっと狡猾な獣の光が宿っているだろう。
 さぁ。
 牙を剥く。
 跳ぶ。

 そして。

 *

 とりあえず、後悔だった。
 彼女を食べたあと残ったのは。
 刃物で腹を割くことすらせず、獲物の残骸に齧りつくハイエナのように私は彼女の肉を食いちぎり、咀嚼して飲み込む。
 作業的に空腹感を満たす――――本能的で作業的な食事。まったく矛盾していた。
 そして後悔した。

 もうちょっとちゃんと食べたかった、と。

 ぱちぱちと燃え盛る炎の前に座り、私はそう考えていた。
 とりあえず、早乙女ハルナを食べた。食事場所は、路地裏の少し奥まったところ。ほぼ生きたまま丸齧りだった。
 確か、彼女の腹を半分ほど食い荒らした辺りで彼女は絶命してたような気がする。まー、今死んでるんだから何時死のうが同じだろうけど。
 食べたのは四割程度程度で、残った部位は適当に切り取って革鞄に詰め込み、移動させた。路地裏は鴉が溜るから、ちょっと見つかり易い気がしたのだ。
 運んだ先は近所の空地。通りのどこからも離れた小さな空地で、朝は多少人が訪れるが、その他の時間は誰一人訪れない。
 私はそこで、彼女の遺留品や余った肉を燃やした。私自身、元々少しだけ魔法の技術があるため、人体を焼き尽くす程度は結構簡単にできた。札と気を併用させると案外楽だ。自身の気や魔力を墨に織り込んで封じる『札』と、自身の生命の力である『気』。これに炎の術式を加えれば、即席でそこそこに強い魔法が扱えるという寸法である。
 一応、これはあとで埋めるつもりだった。『食人鬼による犯行』と見せないために燃やしてから。まさか食べかけをそのまま埋めるってのは……犬じゃないんだし。今時、歯型で人間が特定できる時代だ。証拠はなるたけ残したくない。
 やがて、彼女の体が黒ずんだされこうべになった辺りで、私は火を消した。少々異臭がしたが、この空地の付近には焚き火が趣味のじいさんが住んでいて、毎日のように物を燃やしては怒られていることを私は知っていた。だから、周囲の家は大体窓を締め切っているのだ。多少臭いは残るだろうが、それが人の焼けた臭いだと判別できる人間はそうそういないだろう。酷い異臭でもなければ、いつものことだと済まされるはずだし。
 私は焼けた彼女の残骸を拾い上げ、紙袋の中に入れる。それに封をした後、他の遺留品の屑は全部適当に土かけるだけに留めて、私は空地を後にした。
 次に目指すのは、麻帆良学園の林の中だ。
 そう考えながら。

 *

 早乙女ハルナに続き、二人の人間を食べた。
 四葉五月、大河内アキラ。
 どちらの三年A組のクラスメイトだが――――正直、少しマズッたと思った。三年A組の生徒が立て続けに失踪するなんて、少し不自然だと感じたのだ。
 しかし、杞憂だった。最初はこれでアシがつくんじゃないかなんて思ってたが、逆だ。三人は失踪というか、実質一つの大きな『事件』に巻き込まれたものとして警察に処理されたのだが、これがまた中途半端に警察の物議をかもした。そもそも三年A組の生徒だけ三人も失踪するなんて異常なのだから、私怨と思うのが一般だろう。しかし、その三人に大きなトラブルはなく、加えて三人とも同じクラスの別のグループに属していたからややこしくなった。衝動的か計画的かわからないのだ。
 無論、全ては私の衝動的食欲のために発生した事件な訳だが、警察はンなことわかる訳もない。花粉症ひいた猫の方がまだマシだろうと思える役立たずの警察犬を引き連れ、日夜捜索中なのだそうだ。それも大分検討外れなところを。
 私が食べた三人、それは全部麻帆良学園の敷地内に埋めた。しかし、警察はそんなこと夢にも思わないようで、各々の生徒が失踪した付近をひたすらに探すのである。
 残念ながら、遺留品から死体に至るまで、私は全て処分済みだ。唯一骨だけは残ってしまうが、二人目からは肉はきちんと削ぎとって冷凍保存してある(それもこの前食べ尽くした)し、遺留品は相変わらず焼却処分してある。削ぎ取りに使用した刃物だってきちんと砕いて埋めておいた。
 完璧だ。
 無計画故の完璧さ、とでも言うべきか。私は大河内アキラの腿肉のブロックを焼きながら、ほくそ笑んだものである。
 こんな完全犯罪、きっと頭脳は大人だろうとじっちゃんの名にかけようと解けるはずがないのだ。そもそも犯罪っつーか食事だけど。いや、犯罪だけどさ結局のところ。
 それに――――私の完全な食事にはもう一つ、どうやっても切り崩せない絶対的な『理由』も存在する。
 それは、私が『事件当日寮にいた』という証拠。アリバイ。
 本来不可能なはずのそれを、しかし私は証明できるのである。
 何故って?
 そんなの簡単なこと。

 私は当日寮にいて、同時に外で『食事』をしている。

 これを満たすためにはどうすれば良いか?
 難しく考える必要なんてない。
 小学生の屁理屈よりも簡単。その答えは――――。

 *

「『桜咲刹那』、見つけたぞ……」
 そう言って、彼女は右手に構えた長大な野太刀の切っ先を私に向ける。
 人通りはなく、そもそも生命の臭いすら感じられそうにない、深夜の森の中。基本的にド田舎に位置する麻帆良は、大体どこに行っても林か森が存在する。ここもまた、その内の一つだった。私が住み家として利用している小屋に近い、森。
 私はただなんとなく散歩していた。散歩していたら声をかけられて、ああなんだと思ったら突然刀で斬りかかられたので、驚いて見てみたらそいつがまた見知った顔で。
 なんか初っ端からリミットブレイク中の彼女に応戦している内に、森の深くに入り込んでしまっていた。
 そして、よくわからない内に私と彼女は対峙している。
 彼女は、黒い髪を頭の横で縛るという独特の髪型をした、小柄な少女だった。吊り上がった双眸と、その見事なまで微乳っぷりはマニア心を強く揺さぶるのであろう。最近のオタクはとみにマニアックである。
 彼女は、ゆっくりと私に歩み寄ってくる。対する私は、右手に構えた人肉解体用の出刃包丁を構えて彼女を見据える。
 彼女が、口を開いた。
「よくもここまでのうのうと生きていたな? 『偽物』」
 切り出しからそう来るか、酷いなぁと思いつつ、私は憮然とした口調で言葉を返す。
「さぁ、どっちが偽物なんだかわかんないくせに」
「決まっている――――お前だ」
「何の根拠もないくせに」
 彼女の気配が少々揺らぐ。もっとも、それは動揺というより、むしろ増大した殺気によるものが大きかったようだ。彼女が、構えた野太刀を軽く振り被る。
「そもそも私はあんたの中から出てきたものなんだから、私とあんたどっちがオリジナルか、ってのはわからないじゃない」
「私が元になったのであれば、私が本物だろう」
「だぁーから、それじゃあ女の股から生まれてきたガキは人間じゃないの? 人間から生まれてきた人間は人間なの。悪魔の子でもなければ何でもない。出来損ないだって人間は人間じゃないのさ」
「……私から『分離』した、貴様も本物だと言いたいのか?」
「そう。元々私達は二人で一人だったんだし」
「……ふざけるな!」
 私の言い方に腹が立ったのか、彼女は激昂したように叫ぶ。五月蝿いなぁ、取り乱すなよそれくらいで。
「貴様のような人喰いと私が同じな訳がない! 私は……私は!」
「私は……怪物、だろ?」
「……っぐっ……」
「自分で自分のこと怪物だって理解してんじゃん。私はあなたの中にいた怪物の部分。残念ながら別物の存在じゃない訳。あんた自身どんなに綺麗で崇高な、イエス様もマリア様も喜んで土下座するような美徳の持ち主だとしてもね。私がこの世の中にいる限り、あんたの中にカニバリズム衝動が――――怪物の衝動があったのは明確なの。
You see?」
 私は言う。
 彼女に向かって。
「さて、それでどうするの? その刀で私を刺し殺す? そしたら確かに無差別大量食人鬼はこの世の中から消え去るだろうけどさ、それって同時にあんたが自分を否定することにもなるんだよ? あんたの中にあった裏の部分、凶悪な食人衝動と殺戮衝動、そして同時に烏族そのものの能力をあんたは殺しちゃう訳。で、そしたらあんたはどうするの? あんたの中から戦闘衝動がなくなったらどうする訳? 木乃香お嬢様にべったりくっついて、朝も夜もしっぽり? 股間の世話ぐらいしかできないじゃないのさ」
 ケケケ、と私は意地悪く笑った。彼女は喋らない。
「ほらどうしたのよ。私は包丁一本しか持ってないじゃん。殺せるなら殺せばいいよ、あんた自身どうなるかは保証できないけど。悪いけどね、私はあんたよりも、あんたの中の重大な要素を多く掴んでるのよ? 闘うための力、相手に対する非情さ、烏族としての力。それがなくなったらあんたは何? こっちが教えて欲しいわよ。どうするの? 私を殺すor殺さない? どうするのさ<桜咲刹那>。ドウスルンデスカ刹那ガール。ってあれ、今の似てた? ペガサスに似てた?」
 私が挑発を続けると、少しずつ<桜咲刹那>の意志がブレ始めるのがわかった。
 動揺している。それも並の動揺ではない。
 そりゃそうだ、自分自身の『怪物』を殺して力を失うか、自分自身の『怪物』を放置して力を持ちつづけるか、その二択を選ばなければならないのだから。
 私はどっちだって良かった。私を殺そうが、私を殺すまいが。
 所詮、造りかけの意識なのだ、私など。

 そう、私は『桜咲刹那』。本体――――<桜咲刹那>から分離した、もう一つの桜咲刹那。
 烏族――――天狗の派生と言われる怪物の血を引き継いだ桜咲刹那の中で、特に怪物の意志を色濃く残した存在。平穏を望んだ主たる意志<桜咲刹那>を拒絶して浮かび上がった第二の人格。それが私、『桜咲刹那』。
 どういう原理かはわからないけど、その意識一つの実体として浮かび上がった結果、私は――――『桜咲刹那』は生まれた。
 どう生まれたのかは覚えていない。
 とにかくよくわからないが私は生まれて、まぁなんとなくそれじゃあ人の一人二人食べておかないと駄目っぽいなぁ、と思ったので人を襲って食べた。
 ただそれだけで、私の中に明確すぎる行動理由は存在しない。いや、その中に明確な理由はあったのかもしれないが、しかし誰かが聞いたらそれはあまりに適当過ぎると言われてしまうような、その程度の理由だった。
 いや、ぶっちゃけそんなことはどうでも良い。
 私自身酷く投げやりにここまでやって来たのだから。今更人生振り返っても投げやりな感想しか浮かばない。
 もうどうでも良い。
 殺すなら殺せ。殺さないなら殺すな。
 私は、<桜咲刹那>を睨む。

 結局、私と<桜咲刹那>の立場は同じなのである。
 私がもし<桜咲刹那>を殺せば、私自身の意識は消滅するだろう。桜咲刹那の中で、<桜咲刹那>は最も重要なポジション――――つまりは主たる意志と、その決定権を握らされていたのだから。サッカーチームで言えば、ゴールキーパーとか監督とか、なくてはならないポジションなのである。
 対する私というのは、おそらくフォワード。それもチームのエースで、こいつなくしてはチームの勝利は有り得ない、と解説者も舌を巻く天才フォワードと言ったところだ。
 私の意識は絶対的破壊衝動を根底にしている。それはつまり、私そのものが『破壊』であるということで、<桜咲刹那>の中にあるそれを抑制する力が働いていなければ、私は私自身を破壊してしまうだろう。逆に、私が死んで破壊衝動がなくなれば、<桜咲刹那>の中に残るのは抑制する力だけである。
 こうなれば<桜咲刹那>は戦闘に関する能力のほとんどを失ってしまうだろう。
 即ち、どちらも相手を殺せない理由があるのである。
 ただ交渉の主導権を握っているのが私である、ということを除いては、私と<桜咲刹那>は同じ立場なのだ。

「……うううう、ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
 唐突に、<桜咲刹那>が唸り声を上げ始める。
 野太刀を握る手を強く握り締めているのだろう、ギリギリという締め上げるような音が聞こえる。しかし、それと対照的に、構えた野太刀の位置は、上段から少しずつ力なく下がっていっていた。
 私を殺す事を、諦めたか。
「どうした。殺さないの? 私を、食人鬼を?」
「…………」
「諦めたの? お嬢様を護る為に、他者を犠牲にすると――――そう言うの?」
 私の問いに、<桜咲刹那>は答えない。
 最早決定的だった。
 即答できないということは、即ち肯定を意味する。<桜咲刹那>は、私を殺すことを諦めていた。
 私は<桜咲刹那>に近付く。彼女の右手に構えられた野太刀は、ただ力なく地面に垂れ下がっていた。
 私の勝ち。
 ただきっと、それが正解ではない。正解などない。
 私にとって、それは良いことでも悪い事でもない。
 生きていれば良い事があるのは余裕のある人間の戯言だが、死んだ方がマシというのは人間として間違っている。
 じゃあどうすれば良いのかと言えば、とりあえず惰性で生きていくしかないのだ。
 私はそれ。
 <桜咲刹那>と別れた結果、どっちつかずの生き方を強いられた存在。
 <桜咲刹那>が私を殺さないのなら、ここで私が生き延びたというだけのこと。
 なんとも意味のない邂逅だ。私は思い、踵をかえし歩き始める。
 背後ではまだ<桜咲刹那>が唸り声をあげていた。そんなにくやしいなら殺せばいいのに、いつまでも踏ん切りのつかない奴だ。
 ま、これで当分は人を喰うことになりそ

 めぎょっ

 不意に奇妙な音が響いたと思うと、私の右足がガクリと折れ曲がった。
 否、折れ曲がったなんて生易しいものではない。私はそのままバランスを崩して地面に倒れそうになり、

 めぎゃっ

 再び音が聞こえて、今度は左足がガクリと折れた。まるでだるま落としのように私の体は崩れ落ち、そのまま地面にうつぶせで倒れた。
 やば、痛い。
 少しだけ足の方を見ると、なるほど折れたと思っていた足は失くなっていた。いや、比喩でもなんでもなく。
 丁度膝の辺りから下が千切れて、千切れた部位は変なところに転がっているのだ。具体的に言えば、私の頭上辺りに。
 推測するに、背後から猛烈な威力の攻撃を喰らい、足が吹っ飛んでしまったのだろう。しかし、<桜咲刹那>の攻撃にしてみると少々スマートさに欠ける。基本的に侍は一撃必殺を狙うものだろうに。
 すると、うつぶせで倒れた私の耳に、地面を蹴り進むような音が聞こえてきた。音から察するに、五、六十キロくらいの体型をした人間の足音だ。
 私は顔を横にして、近付いてくる足音の主を見ようともがく。すると、不意に頭の上に影が落ちる。一人の女性が、私の顔を覗き込んでいた。
 薄闇の中では黒塗りにしか見えない褐色の肌をした、背の高い女性。名前は龍宮真名、私の――というか<桜咲刹那>の――友達である。
 龍宮真名は、瞳孔開きっ放しというどこかの土方さんのような瞳で私を睨みつけ、手に持った細長い金属の塊を私の頭に押し付けてきた。
 重量は約十二キロ程度、細長く、シャープだけどもゴツイという矛盾したシルエットのそれは、誰がどう見ても銃器の類いであった。
 私の記憶が確かならば、それは通称『バレットライフル』と呼ばれる対物ライフルであり、50BMGとかいう馬鹿でかい弾丸を射出して、コンクリートを障子紙のごとく打ち破れるらしい合衆国お墨付きの巨大ライフルである。
 記録によれば、2000メートル先の装甲車を撃破できた、とか聞くんだけど。しかも、五十口径弾は人に向かって撃っちゃいけないよ、と国際条約で決まってるんですけど。
 しかし、彼女は身動ぎ一つしないでライフルのトリガーの指をかける。
 ああ、お構いなしですか。ワオ。多分私の足もこれで飛ばしたんだろう、怖いわぁ最近の中学生って。
 まぁなんだ、彼女、龍宮真名ってのは、デザートイーグルを二挺拳銃にして撃つという、今時ビックリするくらいに漫画的なガン・カタさんなのである。そりゃ対戦車ライフルくらい零距離発砲するわな。ああ? 非常識? そりゃあんた、彼女には『気』と『魔眼』というどんな無理設定さえ突っ撥ねる最強能力があるのさね、何言っても無駄無駄。
 え、で撃つの?
 あ、殺しちゃうの? 私。
 抵抗すんのも面倒だから殺しても構わないんだけど。もう痛いのやだし。
 うーん、だけどさ、そしたら<桜咲刹那>の方は一体どうす


 る



 *

『麻帆良学園生徒連続失踪事件で、今朝八時過ぎ、犯人と名乗る少女が警察に出頭、少女の証言を聞いた警察が麻帆良学園周辺の森林地帯を捜索したところ、行方不明だった麻帆良学園中等部の早乙女ハルナさん、四葉五月さん、大河内アキラさんの三人の物と見られる白骨が発見されました。少女は被害者と同じ麻帆良学園中等部に在籍する桜咲刹那・十五歳で、警察の調べに対して『前々から折り合いが悪かった、殺した後に肉を食べて骨を捨てた』と証言しており――――』

 *

 麻帆良学園のカフェテラス。三ヶ月前に発生した『食人鬼』事件の爪痕さえ完全に払拭されたかのように晴れ晴れとした快晴の中で、二人の生徒が会話を交わしていた。
 片方は、黒い長髪に褐色肌の女性、龍宮真名。もう片方は頭にダンゴを二つ乗っけたような髪型の、やや小柄な中国風の少女、超鈴音である。
 二人は、空のティーカップを乗せたテーブルを隔てて向かい合って座っており、雰囲気だけ見れば手持ち無沙汰な会話に終始する中学生、といった感じだろう。だが、この二人が交わす会話は少なくとも普通の女子中学生がするような話ではないし、そもそもどんな年齢の人間でも交わすはずのない会話だった。
「<桜咲刹那>は結局京都に送還されて、幽閉されることに決まったそうヨ。念には念を、らしいけどネ」
「妥当な判断だ」
 龍宮の感情のこもらない言葉に、超は少々訝しげに「やけに落ち着いてるネ」と言った。すると龍宮は超を軽く睨むように見据え、
「冷血だとでも言いたいのか」
 と低い声で囁くように返す。
「いや、誰もそんなこと言ってないヨ。ただ彼女――――<桜咲刹那>とは友人だったんじゃないかとネ」
「友人だからこそ、だろう? そもそも分離体である『桜咲刹那』を処分した時点で、<桜咲刹那>は半ば精神崩壊していた。『桜咲刹那』が生きるために人を喰わねばならない体質だった時から、『桜咲刹那』を処分するのは決定事項だった。つまるところ、『桜咲刹那』が分裂したその時から、既に<桜咲刹那>は崩壊する運命にあったんだ。それで結局<桜咲刹那>は『桜咲刹那』の代わりに逮捕され、最終的に京都で平穏に軟禁生活。戦えもしない体で近衛木乃香を守ろうと足掻き、苦悩するよりも余程良いじゃないか。早乙女や大河内、四葉の遺族も、キ■ガイの暴走に巻き込まれた、ということで一応納得できるし、ばんばんざいだ」
 龍宮が当たり前のことを言うように捲し立てた。
 あの後――――桜咲刹那の中にある殺人衝動の塊、食人鬼『桜咲刹那』を処分した後、龍宮は残った<桜咲刹那>に一言二言含ませて、それを警察に出頭させた。その時既に<桜咲刹那>は精神をほぼ崩壊させており、呆けた老人のようだったと言う。あとは<桜咲刹那>が『殺した人間を食った』と証言すれば、それで異常者による猟奇殺人事件の誕生である。
 もっとも、この時既に『桜咲刹那』は物的証拠を全て処分しており、また<桜咲刹那>の精神に明らかな異常があったために、明確な処分が下ることはなかった。
 結局、本人の精神に異常があることだけが絶対的事実として提示され、<桜咲刹那>は故郷である京都の病院に通う、という名目で自主退学となった。しかし、ここまでのシナリオは、既に桜咲刹那が近衛木乃香の護衛についた時点で想定されていたシナリオであり――――言うならば『想定の範囲内』だったのである。
 桜咲刹那が烏族のハーフであった時点で、既にこの結果は予想されていた。故に、あの時龍宮は<桜咲刹那>と『桜咲刹那』の邂逅を監視し、場合によっては『桜咲刹那』を殺すよう命じられていたのだ。もしも、<桜咲刹那>が『桜咲刹那』を殺さなかった場合殺せと――――皮肉なものだ、と超は思う。どちらにしろ、結果は決まりきっていたのだ。
「……ふーん、そんなもんかネ」
「何もみんなが幸せになることだけが、最高の結果ではないのさ。できうる範疇での最高の結果がこれだったんだ」
 そう言った龍宮は、少し視線を外らし、背後――――カフェテラスの他の席で談笑する、三人組の少女を眺めた。
 オレンジの髪をツインテールにまとめた少女と、黒い長髪で柔らかな顔立ちをした少女、そしてもう一人、精悍そうな顔つきの、あまり馴染みのない少女の三人。
 彼女達はお茶を片手に、よくあるくだらない世間話で盛り上がっているらしく、そちらは雰囲気も中身も立派な今時女子中学生だった。
「それに、最も懸念していた『お嬢様』があれなら、桜咲も幸せだろうさ」
 しみじみと、龍宮は呟いた。
 すると、黒い長髪をした柔らかな雰囲気の少女――――近衛木乃香が、「いややわー、×■○ちゃん!」と大声で叫び、それを聞いた超は軽く肩をすくめた。
 雑音で上手く聞き取れなかったが、近衛木乃香が叫んだ名前は、神鳴流から新たに近衛木乃香の護衛として選出された、あの精悍そうな顔つきの少女の名なのだろう。
 なんでも、近衛木乃香とは幼少の頃に面識があったらしく、今では桜咲刹那の代理を立派に果たしている。実直で正義感に溢れ、今回の桜咲刹那の代行役にも自ら名乗りをあげたそうだ。
「……んー、まぁ幸せならそれで何よりダケド」
 超が、少々爺むさい口調で言う。その物言いは、『最近の若いものは』と嘆くように説教する団塊世代の中年のようだった。
「ところで」
 背後で尚も聞えるきゃあきゃあ声を払い除けるように、超は口調を変えて龍宮に言う。
「今回の事件について調べて、少し面白いことがわかったんだけどネ」
「ほう、なんだ」
「これ、見て欲しいんだけどネ」
 言って、超は床に置いていた革鞄の中から一つの紙束を取り出した。
 それは、学校側から依頼されて超が製作した、事件概要のまとめを記した資料である。超はその内一枚を抜き出すと、龍宮に手渡した。
「……なんだこれは。三年A組身体測定の結果表?」
「それなんだけどネ、少しおかしいと思わないカ?」
 少々勿体振ったような超の言い方に、龍宮は訝しげに「何がだ?」と言葉を返した。
「そこに載っているデータに、全体として見れば、体型に大きなふり幅の違いはないと思わないかネ?」
 言われて龍宮がそのプリントを見る。身長、体重、バスト、ウェスト、ヒップ、体脂肪率等が記されたそのデータを一通り眺めると、
「確かに、そこまで大きく相違した点はないな」と言った。
 一部、中学生にしては少々発育がおかしい生徒(龍宮含む)が数名含まれるものの、それを除外してしまえば、各生徒の数値に目をみはる程大きなふり幅はなかった。皆、そこそこの数字で揃っている。
「それで、その中にいる早乙女ハルナも、異常に発育が良いとかそういう訳ではないネ」
 言われて龍宮が早乙女ハルナの結果覧を見る。確かに、平均より多少は肉付きが良い程度だろう。
「そして、早乙女ハルナは他者との交流が多く、親友と言える友達もいる」
「……だからどうだというんだ」
 呆れたように龍宮が言い、渡された資料を放るように超に手渡す。超はそれを受け取ると、言った。
「それじゃあなんで、『桜咲刹那』は早乙女ハルナを最初に狙ったんだろうネ」
「……は?」
「あれから調べたんだけどね、早乙女ハルナは失踪する直前に某アニメショップで買い物をしている。加えて、アニメショップ付近の裏路地で争ったような形跡があったネ。これはつまり、その裏路地で早乙女ハルナが殺された、もしくは捕まえられたと考えるべきだと私は思った訳ヨ」
「で、それがどうなんだ。何か問題があるのか?」
 急かすような龍宮の言葉を、超は右手で制して言葉を続ける。
「まぁまぁ最後まで聞くネ。……それでだけどネ、そのアニメショップが入っているビルっていうのは、麻帆良商店街からかなり外れた路地にあるのヨ。無論、なんとなくで普通の人が訪れるような場所ではないし、迷い込むこと自体が難しい位置にある。これが何を指すかわかるかネ?」
「全くわからん」
「それは、即ち早乙女ハルナを殺したのが、衝動的なことでなかった、ということネ。大方、早乙女ハルナを追って路地に入っていった、といったところカ。その後、早乙女ハルナがアニメショップを出るまで待機していた。つまり、『桜咲刹那』は意図的に早乙女ハルナを狙って、そして『食事』に及んだということネ」
 そこで一度、超は言葉を切る。見れば、近衛木乃香達三人が席を立って、何処かへと歩いていくところだった。
 それを見届け、少し哀れむような表情をしてから、超は再び口を開いた。
「何故だろうネ? 友人関係が強く、事件発覚が否応なしに早まってしまう最も面倒なタイプの、それも特筆すべき体型でもない少女を何故? わざわざ尾行してまで、何故<桜咲刹那>は早乙女ハルナを狙っていたのカ?」
「たまたまじゃないのか? そんなのは――――」
「……いや、たまたまというにはちょっと都合が良すぎるネ。明らかに『桜咲刹那』は早乙女ハルナを狙っていた。早乙女ハルナだけを。同じような体型で、友好関係の少ない生徒ならいくらでもいたはずなのに。三年A組に限らずとも、全校生徒を見ればその条件をクリアーする生徒は山のようにいるはずヨ。――――何故だと思うネ?」
 訊われて、龍宮は少し思案する。
 こういう時に物事を考える場合、一番最初に考えたいのが『一方通行ではないこと』である。すなわち、全ての原因は片方にだけある訳ではなく、場合によっては全く別のところに原因が――――。
「……ちょっと待て。お前、何が言いたい?」
 龍宮が、少々困惑したように言った。
 <桜咲刹那>が意図して早乙女ハルナを狙っていた――――それは、逆を返して言えば。
「早乙女ハルナが意図して『桜咲刹那』を誘った――――そう考えると、辻褄が合う。加えて言えば、『桜咲刹那』が具現する原因に早乙女ハルナがあった、という場合も考えられるかも、ネ」
 超の突拍子もない発言に、龍宮はしばし呆然とする。
 超は楽しそうに笑顔を作り、龍宮の顔を覗き込んでいた。
「……そんな訳がない。そんな馬鹿な話が――――」
「そうでもないヨ? 早乙女ハルナは当日、いつも一緒に下校している友人二人とわざわざ別れて単独で行動している。普段はアニメショップでも一緒に行くと言っていたから、これは大分不自然なんじゃないかネ? 早乙女ハルナが何かの拍子に、そういう特殊な力に目覚めたとか、あるいは誰かに操られたとか――――可能性はいくらでもある。ただ、普通に説明するだけじゃ大分不自然だからネ、こう言えば多少は自然かな、と」
「そもそも根拠が不自然なんだ。――――そんなこと、あるはずがない」
 言って、龍宮はがたんとイスを蹴倒すように立ち上がった。そのまま自分の革鞄を引っ掴み、きびすをかえす。
「あら、もう帰るのかネ?」
「……気分が悪い。お前のくだらん話に付きあわされたせいだ、ここの勘定くらいそっち持ちにしてくれ」
「んー、構わないけどネ」
 龍宮は超の言葉を聞かないまま、ずかずかと大股でカフェテラスを去り、あっという間人に紛れて見えなくなってしまった。後に残ったのは、空いたティーカップと超だけだ。

 
 少しずつ静かになっていくカフェテラスの中で、超は不意に空を見上げる。
 少々暮れなずんで来た空には、白い鳥が列を成して飛んでいた。
 自由を謳歌するように、羽ばたいていた。
「……ま、いーか」
 鳥に語りかけるように超は呟き。
 そして最後に、人差し指で目元を押し上げるような仕種をした。



あとがき

リハビリに書いてみたらどうなんだコレという作品に。
ぶっちゃけ最後の『人差し指で〜』というオチを書きたいがために書いたようなものです。
少々崩れた世界観でやってみまして、理解できるだけが小説じゃないぞ!とか言ってみたかったのです。
そしたら本当に理解できない作品に。
ただ書きたいことは書き終えたつもりです。これがまた自分の糧になることを切に祈りつつ。

十一月二十六日 今居 鉚二



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